eumoはお金ではなく、社会実験であり、社会啓発活動なんだろうな

 

1.はじめに

11月のとある日、京都が誇る変態“なかでぃ”さんこと、中田俊氏の投稿【eumoギフト計画】という記事が目に入ってきた。株式会社eumoの新井和宏さんの考え方には、鎌倉投信の頃から共感し、eumoの取組にも関心を持っていたこともあり、さっそく参加を打診した。

 

注)「変態」とは、eumoの新井さんが多用される言葉で、目先の利害などをあまり考えず、社会のためにいいことをしている人のことで、世間一般の常識から見たら、変な人に見えるので「変態」というが、褒め言葉であることは、襟を正してお伝えしておきたい。

 

正直いうと、「タダでもらえるなら、もらえるものは、もらわないと損だ」と貧乏根性を出して、まんまとなかでぃさんの作戦にはまったことは否めないが、今年に入って、AFURIKA DOGSの中須俊治氏との出会いをきっかけに、俄然ソーシャルビジネスというものに関心が芽生え、勢いでイノベーション・キュレーター塾にも参加してしまうほどであったところ、本企画を目にし、人の輪も広がればいいなとの期待もあって、厚かましくも参加させていただいた(なかでぃさんありがとうございます)。

 

2.いきなりの壁

しかし、よくよく冷静になって考えてみると、地方公務員(を一応しておりまして)という立場で、ギフトとはいえ、モノやサービスと交換できるお金の機能を持つものを贈与としてもらうのは、いかがなものかという疑念が、自分の中に湧いてきた(公務員の鑑!)。なかでぃさんとは、利害関係はこれっぽちもないし、やましいところはまったくないのであるが、いつか誰かにグレーゾーンを攻められるのは嫌だし、ギフトを受け取るのはやめることにした。

 

スタート地点で、いきなり躓いてしまったわけだが、なかでぃさんに相談して、ギフトを受け取るのはやめておくけど、eumoには関心あるし、今回の企画にも興味があるので、参加は継続させてもらいたいと申し出て、承諾してもらった。

 

eumoという新しい試みに、現行の法制度は追いついていないのではと思う。今回の企画の趣旨目的で、eumoをギフトで受け取るのがいいのかどうか、当局に聞いても、おそらくすぐには答えがでないのでないかと思う。ギフトの機能を、現実の法制度の中でどう整理していくのか、すでにされているのかもしれないが、引き続き勉強したい。

 

 

3.「京都をeumoで丸ごと熟成」イベントに参加して

 とりあえず、まずはeumoとはいかなるものぞやを理解するために、eumo解説動画を観たり、「京都をeumoで丸ごと熟成」で新井さん直伝の解説をお聞きしたりした。

 

しかし、腑に落ちないのである。鎌倉投信の時は、投資を通じて、いい会社を応援すると理念がとてもシンプルで、すごく腑に落ちて、すぐに積立投資をはじめたものだった。すぐさまに行動に駆り立てるまでのシンプルさがあった。しかし、eumoは、腑に落ちるまで時間がかかるようである。おおよそは分かるのだが、実感が湧いてこない。

 

これはまず使ってみないと分からないと思い、ちょうど熟成イベントがあったので、QUESTIONでeumoをチャージして、「まなびば とびら」さん、「発酵食堂かもしか」さん、「飯田醸造」さんなどで、物品購入のための支払いをしたり、ギフトしたりした。

 

で、どういう感想を得たかといえば、paypayやキャッシュと何が違うのかということだった。モノやサービスへの支払いはもちろん、感謝の気持ちを表すギフトも、チップという形で現金でもできるし、paypayでも送金機能はある。まだeumoの機能を正しく理解しきれていないのか、アプリを完全に使いこなせていないのか。eumoを使っても、これはスゴイという感動はなかった。

 

しかし、新井さんや新井さんに共鳴する多くの方が協力してできあがったeumoが、こんな程度ではなかろうと、さらに考えを進めた。そもそもeumoが使えるお店というのが、社会課題の解決のためにビジネスをし、持続可能な社会や人と人のつながりを大事にする、イケテル会社で、eumoを使うことは、自動的に、そういうイケテル会社を応援することになる、だから、eumoで支払うだけで、eumoでチップをあげるだけで、社会に貢献することになる、ということなのではないか(これは、eumo株式会社が、加盟店を厳正に審査し承認することが前提になるが)。

 

そして、貯蓄性がないから、どんどんお金をまわして、イケテル会社やイケテル人やイケテル企画を応援できて、eumoに賛同するコミュニティが活発になり、それが社会全体に波及し、日本全体、世界全体を巻き込んで、幸せな社会にしていこうという、そういうことかなと、思った。

 

つまり、eumoは、お金ではなく、社会実験であり、社会啓発活動、社会変革運動なのでは。

 

4.現時点での感想、気付き

 eumoは3ヶ月で腐ってしまうため、お金の機能のひとつである貯蓄性がない。これは交換や贈与を促すための措置であり、社会実験や社会啓発という意味では意義あることだが、やはりお金の機能としては、不完全なのではないかと思う。

 

 例えば、高い志を持った青年が、まとまった軍資金が必要になる社会改革を志したとして、その大志のために、日々の生活は節約し、お金を貯めて、長年月の辛抱の末に、目標の金額を貯め、改革に必要な人や資材などを集め、改革を果たす、というストーリーもありなんじゃないか。このような長期のストーリーを、 eumoでは描くことはできない。お金の機能という点では、やはり既存のお金、日本なら「円」に軍配を上げざるを得ない。

 

 しかし、おそらく新井さんはそんなことは百も承知なのだろうと思う。eumoの普及が目的ではなく、人と人が感謝と友情と理解をもってつながる共感社会をつくること、社会改革を起こすことが目的で、そのためにされているのだろうと思う。

 

 僕が若かりし頃に参加していた青年海外協力隊も、ソーシャルビジネスも、どちらも、社会課題の解決という目的が達成されたら、必要でなくなる存在であるが、eumoもそういう存在なのではないか。

 

 eumoの普及を通じて、日本人の大多数の人の意識が変わり、経済優先ではなく、人と人のつながりや共感を大事して、「円」でもeumoのような使い方をできるようになれば、「円」でも共感社会を築けるようになる。大志を実現できる貯蓄性を有した「円」でも、共感社会を実現できる。そのような日が来れば、eumoの使命が終わった日となるのであろう。逆にいうと、その日がくるまで、eumoの使命と活動は続くのである(そして、人間の意識はそんなに簡単に変わらないであろうし、当分の間eumoは存在する)。

 

 このようなことをつらつらと考えている今日この頃、eumoがなければ、なかでぃさんのギフト企画がなければ、このような思索をするようなことはなかったであろう。人々の思索を推し進める、気付きを呼び起こすということだけででも、すでにeumoは、いい仕事をしてくれている。eumoよ、ありがとう。そして、なかでぃさん、ありがとう。

 

 この辺りで難しい話はやめたいと思う。それより、オンライン会議で話していたとおり、eumoを使った懇親会、しましょうよ!

とびらの日常

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